丙午女のパワフル日和
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(T_T)無事に終わりました
父がこれから手術します!の話で終わっていましたが・・・
先日亡くなり、昨日葬儀を無事に終えることができました。
未熟者の私たち子供は、てんやわんやでしたが、
父の事、遺された母の事だけを考えて葬儀の段取りをしました。
11/30の胃の全摘手術は成功し、お正月を家で過ごすぞ!を合言葉に
翌日と翌々日はリハビリのために部屋の中を歩いて、看護婦さんに驚かれました。
手術から二日目の夜に急変して、ICUに入り、それから1ヶ月麻酔をかけたままの状態で治療を続けました。
その間、再度手術もしました。
母は、毎日欠かすことなく病院へ行き、病室で一日を過ごし、
一日数回、ICUを訪れては会って触って声をかけ続けました。
時には、足の裏をくすぐって「早く起きなさ~~~い」と言ってみたり。。。
体から7本の管を出し、点滴の線は何本もつけられ、
喉は切開して人工呼吸器をつけ。。。
会うのが辛い日もありましたが、
この一か月間は、父の家族・私の家族姉の家族・父の兄妹・幼馴染・同級生・・・
ほんとうに多くの人が父のそばにつき、
孫たちは毎回、体中をさすってはボディクリームを塗ってあげたり、
唇にリップエッセンスをつけてあげたり・・・
みんなの優しさがとても嬉しかった。
最後の日は私が病院にいて「今日がやまかも・・・」といわれてから
すぐに母に電話をして、母と孫二人は近所の人に乗せてもらってかけつけ、
母を到着を待つかのように亡くなりました。
孫二人には手をずっと触ってもらいながらの最期でした。
4人しかそばにいてあげることはできませんでしたが、
父の枕元にはずっと親族一同の記念写真が置かれ、いつもみんな一緒でした。
それからは、おじいちゃんを気持ちよく家へ迎えてあげるために
孫たちはせっせと掃除をし、私や姉の夫は家具をどけたりと大忙し。
弟の車で父は帰ってきました。
ゆっくりさせてあげたかったので、葬儀の日は普通より一日遅めました。
そのぶん、火の守りも大変ですが親戚のおばさんや私の旦那さんが夜通し寝ないでそばにいてくれました。
お通夜・告別式での挨拶文の原稿は私の担当です。
父の思い出や、孫との思いで、母との夫婦愛など盛り込んで作成し、
それを姪っ子がパソコン入力し、みんなで協議して手直しし、最終原稿を完成させ、それを喪主である弟が読んで練習。
焼香順もみんなで協議して決めました。
親戚が多いので、また父を慕って 大勢の親戚が来てくれるということだったのでもれの無いように決めなければいけません。
田舎なので、何度もみんなで食事をします。
それを毎回分、来て下さる人数を考えながら料理と数を決めなければなりません。
遺影も家族みんなでワイワイ大騒ぎで決めました。
懐かしい写真に、みんな大騒ぎで横道にそれることばかり。
とにかく決めなければならないことが多いし、来客のためにお茶出しも必要で、孫たちを大量投入し切り抜けました。
葬儀の会場入り口には、実家で毎年撮影した大勢の記念写真をスクラップブッキングしたものを額に入れ飾ってもらいました。
司会者のナレーションもこういう言葉を入れてほしい、とお願いしたり。
葬儀社の人はほんとうにこちらサイドにたって考えて、気持ちをくんでいただけて本当にありがたく思いました。
あ~~~なんだか、書ききれませんがほんとうにみんなで作り上げた告別式で、みんなで送ってあげれたという達成感と、もれがあったのではないかという心配な気持ちがあります。
落ち着いたら、また。
先日亡くなり、昨日葬儀を無事に終えることができました。
未熟者の私たち子供は、てんやわんやでしたが、
父の事、遺された母の事だけを考えて葬儀の段取りをしました。
11/30の胃の全摘手術は成功し、お正月を家で過ごすぞ!を合言葉に
翌日と翌々日はリハビリのために部屋の中を歩いて、看護婦さんに驚かれました。
手術から二日目の夜に急変して、ICUに入り、それから1ヶ月麻酔をかけたままの状態で治療を続けました。
その間、再度手術もしました。
母は、毎日欠かすことなく病院へ行き、病室で一日を過ごし、
一日数回、ICUを訪れては会って触って声をかけ続けました。
時には、足の裏をくすぐって「早く起きなさ~~~い」と言ってみたり。。。
体から7本の管を出し、点滴の線は何本もつけられ、
喉は切開して人工呼吸器をつけ。。。
会うのが辛い日もありましたが、
この一か月間は、父の家族・私の家族姉の家族・父の兄妹・幼馴染・同級生・・・
ほんとうに多くの人が父のそばにつき、
孫たちは毎回、体中をさすってはボディクリームを塗ってあげたり、
唇にリップエッセンスをつけてあげたり・・・
みんなの優しさがとても嬉しかった。
最後の日は私が病院にいて「今日がやまかも・・・」といわれてから
すぐに母に電話をして、母と孫二人は近所の人に乗せてもらってかけつけ、
母を到着を待つかのように亡くなりました。
孫二人には手をずっと触ってもらいながらの最期でした。
4人しかそばにいてあげることはできませんでしたが、
父の枕元にはずっと親族一同の記念写真が置かれ、いつもみんな一緒でした。
それからは、おじいちゃんを気持ちよく家へ迎えてあげるために
孫たちはせっせと掃除をし、私や姉の夫は家具をどけたりと大忙し。
弟の車で父は帰ってきました。
ゆっくりさせてあげたかったので、葬儀の日は普通より一日遅めました。
そのぶん、火の守りも大変ですが親戚のおばさんや私の旦那さんが夜通し寝ないでそばにいてくれました。
お通夜・告別式での挨拶文の原稿は私の担当です。
父の思い出や、孫との思いで、母との夫婦愛など盛り込んで作成し、
それを姪っ子がパソコン入力し、みんなで協議して手直しし、最終原稿を完成させ、それを喪主である弟が読んで練習。
焼香順もみんなで協議して決めました。
親戚が多いので、また父を慕って 大勢の親戚が来てくれるということだったのでもれの無いように決めなければいけません。
田舎なので、何度もみんなで食事をします。
それを毎回分、来て下さる人数を考えながら料理と数を決めなければなりません。
遺影も家族みんなでワイワイ大騒ぎで決めました。
懐かしい写真に、みんな大騒ぎで横道にそれることばかり。
とにかく決めなければならないことが多いし、来客のためにお茶出しも必要で、孫たちを大量投入し切り抜けました。
葬儀の会場入り口には、実家で毎年撮影した大勢の記念写真をスクラップブッキングしたものを額に入れ飾ってもらいました。
司会者のナレーションもこういう言葉を入れてほしい、とお願いしたり。
葬儀社の人はほんとうにこちらサイドにたって考えて、気持ちをくんでいただけて本当にありがたく思いました。
あ~~~なんだか、書ききれませんがほんとうにみんなで作り上げた告別式で、みんなで送ってあげれたという達成感と、もれがあったのではないかという心配な気持ちがあります。
落ち着いたら、また。
by dori-dori-midori
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